虹色鉱石
あるかもしれない誰かと誰かのひと時
「あっ、あの人かも!」
昼には少し早い、混雑したリューンの市場の通り。そこを本屋に向かって歩いていると視線を感じた。同時に甲高い子供の声。
何だ?
俺は周囲を見回してみた。すると人の波から頭一つ……いや、二つ分? 抜きんでて背の高い茶髪の男の、静かに微笑む赤い目と目が合った。
随分長身だな。
俺は足を止めてそいつを眺めた。背が高いだけでなく体格も良く、背負った大剣も規格外にでかい。顔立ちは整っているが結構強面だ。そこいらのチンピラくらいなら睨んだだけで撃退できそうだ。
「あんた、俺に何か用か?」
どう見ても一般人ではないだろうと思いながら聞いてみる。するとそいつは、俺からは見えないそいつの足元に向かって話しかけた。
「お前の探してる相手か?」
「一瞬しか見えなかったから、分かんなかった!」
「なら、これならどうだ?」
また子供の声。そして長身男がひょい、と何かを頭上に持ち上げた。
「わー、たかーいっ!! 良く見えるー!!」
持ち上げられて肩車されたのは、やはり子供だった。人間の様にも見えたが、水色の髪からは魚の鰭に似た形の耳が覗いていて、尻からは鱗に覆われた太い尻尾が生えている。リューンではそこまで珍しくもないが、人外だ。
その人外の子供はキャッキャと一頻り騒いだ後、俺の顔を見て首を傾げた。
「あれ?」
「どうした?」
長身男が聴く。子供は首を振った。
「違った。黒っぽい髪だし、痩せてたしなんか地味だったから、そうかなって思ったんだけどな~」
なんか地味。確かに俺は派手な見た目ではない。が、そう面と向かって言われると何となく釈然としない。
「あんた達、俺に用事か?」
俺はまた聞いてみた。二人の会話の内容から考えると『探している誰かに俺が似ていたが人違いだった』のだろう。無視して買い物に戻っても良かったが、なぜか気になってもう一度尋ねた。
すると、
「すまない。人違いだった」
肩車している方が言って、
「ごめんね!」
肩車されている方も言った。
「この子、迷子なんだ。連れがいるらしいから探すのを手伝っているんだ」
「違うよボクは迷子じゃない! お店見てる間にあっちがいなくなっちゃったの!」
若干ズレた会話を聞きながら、俺はこの長身男は随分お人好しなんだろうと思った。
「俺に似た年恰好の奴を探していたのか。残念だがそういうのは見かけていないな。――それじゃ」
そう告げて踵を返そうとした俺に向かって、
「待って! お兄さんも冒険者だよね?」
子供が声を上げ、思わず再度足を止めてしまった。『も?』
「お前も冒険者なのか?」
迷子になるようなその頭で? 『連れ』はさぞ大変だろう。それに冒険者って事は……。
「宿に帰れば解決するだろう」
「宿の名前忘れちゃったの! だから手伝って!」
「はぁ?」
寝言は寝て言ってくれ。
「連れを探せと?」
「依頼するから!」
依頼?
「手伝ってくれたらこれあげる!」
そう言って子供は、銀貨ほどの大きさの丸い板を取り出して俺に見せた。碧い色の……何だこれは?
「ボクの、竜の鱗! 売ったら高いんだよ!」
竜? こいつが? 竜っていうのはもっと知性があって……少なくとも肩車でキャッキャ騒ぐ奴じゃないと思うんだが?
思わず顔をしかめると長身男が苦笑いした。ああ、こいつも同じように依頼されたのか。
『本物の』竜の鱗には見えない。でも人外種の体の一部。錬金術の材料に使えるだろう。
「……昼までなら手伝おう」
帰りが遅くなると雷牙に心配をかけてしまう。俺が答えると、それでもいいよ! と子供は答えた。
「ありがとう! ボクはクォー、お兄さんは?」
「灰都だ。そっちは?」
「俺は山野辰。辰って呼んでくれ」
二人は名乗って、それから辰という大男はクォーを肩車したまま再び歩き出した。その数歩後ろを俺はついていく。人混みの中に俺に似た男がいないか探しつつ、聞いてみる。
「すぐ見つかると思うか?」
「そんなに時間はかからないと思うぞ」
すると辰は落ち着いた口調で答え、目を細めて肩の上の子供を見た。
「その連れって人も気付いて探しているだろうし、この子はこうしていれば目立つだろう?」
「そうだな」
クォーの耳と尻尾は確かによく目を引く。
「あと冒険者らしい奴に声をかければ、その連れ本人じゃなくても知ってる誰かに当たるかも知れないな」
俺が付け加えると、辰は頷いた。
「ああ。……じゃ、あの二人に聞いてみるか?」
そう言って彼が指したのは、少し向こうの酒場のテラス席で楽しそうに食事をしている女二人組だった。
一人は肩におろした茶髪に白いワンピース、二十歳前後か。もう一人は……十歳くらいなのに酒を飲んでないか、あれは? 赤いミニスカートを穿いて金髪をスカートと共布のリボンでツインテールにしている。共に華やかな顔立ちで周囲の男の目を引いているが、二人が携えている得物と滲み出る独特の空気に気付ければ、迂闊に手を出してはいけない類の人間だと分かるだろう。
その証拠に二人とも、辰が二人を俺に示した瞬間に、料理や酒からぱっと目を上げてこちらを見た。
「何? アタシ達に何の用?」
ツインテールの方が俺達を睨む。
「『子供はお酒を飲んじゃいけない』とか言うんじゃないでしょうね? アタシはね、こう見えても十六なのよ!」
いや。なぜ実年齢と見た目年齢に剥離が生じているかについては若干興味はあるが、お前を非難するつもりは毛頭ない。
俺が説明しようとするより早く、辰が肩の上のクォーを指しながら話し出した。
「違う。俺達は、この子供冒険者の連れを探しているんだ。何か知らないか?」
「そうなの?」
ツインテールは意外そうに赤い目をぱちぱちさせた。この反応……いつもチビとか子供とか言われているんだろう。
「アタシは知らないわね。エリシャは知ってる?」
「そうね……あたしも知らないけど」
エリシャと呼ばれたワンピースの女は僅かに小首を傾げた。
「人外が多く所属してる宿が二つ向こうの通りにあるっていうのは聞いたわ。そっちに行けば何か聞けるんじゃない?」
「さすがエリシャ。物知りね!」
「おだてても何も出ないわよ、ローズマリー」
「情報ありがとう。それじゃ行こうか。灰都、クォー」
女二人は食事に戻り、俺達はまた歩き出す。前を行く辰の肩の下、丁度俺の目の高さでクォーの尻尾がぷらぷら揺れている。
……雷牙の尻尾は、もっとふわっと揺れるんだよな。
こういう動きをするものを見ると恋人を思い出してしまう。早く色々終わらせて帰ろう。
そんな風に考えているうちに道を二つ横切った。その角を曲がれば教えられた通りに出る、となった時に。
「あ!」
唐突にクォーが叫んで両手を大きく振った。
「ルートヴィッヒさん! こんにちはっ!」
何だ? 目をやると、背の高い――でも辰より少し低い――銀髪の男が、建物の壁にもたれて煙草を美味そうに吸っていた。クォーの声に気付いたのだろう、長い睫毛に縁どられた切れ長の目でこちらを見てくる。さっきの女二人組も中々だったが、この男もすこぶる美形だ。今日はそういうのによく会う日だな。
「お前は確か『微睡む青龍亭』の……」
「クォーだよっ! 覚えててくれて嬉しいー」
「知り合いなのか?」
辰が尋ねると、少し、と男が答えた。
「ちょっとした寄合で見かけた程度だ」
「ボク達ね、二人ともタンク役なんだよ! 凄いでしょー」
凄い? いや今はそれよりも。
「あんた、こいつの宿を知ってるのか?」
「勿論知っている」
「その宿を教えてくれ。こいつ、迷子になってるんだ」
俺が言うと、相手は紫煙を燻らせながら笑った。
「送り届ける途中って訳か。……でも、教える必要は無い」
どういう意味だ? 俺が疑問に思ったのと同時に、おーい! と通りの向こうから声がした。見れば、俺に似た背丈の暗褐色の髪の男がこっちに向かって大きく手を振っていた。
「あーっ!」
クォーが叫んで足をじたばたさせる。察した辰が地面に降ろしてやると、彼はくるりと俺達を振り返った。
「見つかったよ!」
にこっと破顔して、そしてポケットからあの鱗を二枚取り出した。まず辰に一枚手渡して、それから俺へ。
「はい、これ。ありがとう!」
何気ない仕草で渡されたそれが掌に触れた途端、肌が粟立った。水気を含んだ冷風が頬を撫で、左肩から突き出た結晶にぴりりと微弱な電気が走る。
同時に脳裏に映像が浮かんだ。雲海を下に見る空を、背中の翼を一杯に広げて飛ぶ幻が。
「あんたは……」
俺が思わず呟くと、手を振る男の方へ駆け出しかけていたクォーが振り向いた。その背には、大きな翼。
「じゃあね。黎翼人(アーラエ)のお兄さん」
翼が見えたのは一瞬だった。彼は探していた相手と連れ立って歩いていって、すぐに雑踏に紛れて姿が見えなくなった。
――本物の竜だったのか。
掌に残された鱗の表面を指先でなぞり、俺はため息をついた。
リューンという町は、本当に何が起こるか分からない。
「早く買い物を済ませて帰るか」
帰り支度を始めた辰を横目に見、俺も当初の目的の本屋に向かって歩き出した。
宿に戻ったら、仲間達に今日の出来事をどう話そうかと考えながら。