虹色鉱石
見慣れた横顔 ―another side―
狼に出会うことも無く、彼女の息があるうちになんとか村に戻れた。だがここからが大変だった。
小さな山村には医者も薬師もいなかった。なので麓の街の医者が来るまで引き続きウンディーネを使おうかとエレミアが申し出ると、村人たちは彼を追い出そうとした。なんでも敬虔な信徒を異教徒にこれ以上触れさせたくないらしい。
普段からあまり怒りを感じない方であるエレミアだったが、流石にこの時は腹が立った。
「ああ! 僕は確かに異教徒です、異教の術の使い手ですよ! ですがね、このお嬢さんを助けたいのはあなた方と同じです! 人手は足りないのにあなた方は僕みたいに治癒の術が使えるんですか? それとも医術の心得が? え? どっちも出来ないんでしょう? なら黙って僕にも手当てをさせなさい!!」
睨みつけ、声を荒げてまくしたてるとやっと村人たちは大人しくなった。そこからは、もう、文字通り必死に働いた。医者が着いて、処置が全部終わって彼女が目を覚まして、「もう大丈夫です。君もよく頑張りましたね」医者にそう声をかけられると、その瞬間全身から力が抜け、エレミアは半ば気絶するようにその場で眠りに落ちた。
そして、目が覚めると彼は村の教会の客室にいた。
『うわ……頭、痛い……』
鈍く重い痛みに文字通り頭を抱えながらのろのろと体を起こす。霞がかかったような意識の中で周りの様子を確認すると、ベッドの上にいるのが分かった。
しまった。やりすぎた。
自分が何をしたかを思い出し、エレミアはため息を吐いた。感情的になりすぎて限界ギリギリまで精霊術を使ってしまった。この頭痛もそのせいだろうし、何より良くないのは、自分にどちらかと言えば敵意を持っている人達の前で倒れてしまった事だ。場合によっては意識の無いまま野外に放り出されたり、最悪殺されていたかも知れない。
だけど……今の所、害される気配は無さそうだ。
そうでなければ客室で寝かされていたりしないだろう。体の力を抜いて再度ベッドに倒れ込み毛布を被って目を瞑る。全く動けない訳ではないが、動きたくない。
そうやってしばらく横になっていると、部屋の戸が軽くノックされた。答えるのもおっくうで黙っていると、がちゃりと戸を開けて人が入ってきた。
薄っすらと目を開けて見れば、シスターの服を着た見事な赤毛の女性だった。
「お目覚めになったんですね」
彼女はエレミアと目が合うと静かに微笑んで「召し上がりますか?」と手にしている盆を軽く掲げた。チーズの欠片と固焼きパン、それから野菜スープの皿が載っている。
エレミアは頷いて起き上がった。礼を言い、受け取って食べ始める。すると彼女は「娘を助けてくれてありがとうございました」と頭を下げてお礼を言ってきた。匙を持つ手を止めて皿から目を上げる。彼女の髪や顔立ちは連れ帰ったあの子のものに良く似ていた。
「当然の事をしただけです。お嬢さんが無事で良かったです」
感謝されたいと思ってした事ではなかったが、それでもお礼を言われるのは嬉しかった。思わず目を細めると相手も同じような表情をした。
「あの子は私達にとって一人娘で……あの子がいなくなったらどうしようかと……。体調が戻るまで好きなだけ滞在していってくださいね」
エレミアが食事を終えると彼女は盆と皿を持って部屋を出て行った。もう一度毛布に潜り込みながら少し考える。
感謝はされたけど、やっぱり歓迎はされてないんだな。
「体調が戻るまで」滞在して欲しい、それはつまり「体調が良くなったら出ていってくれ」という意味だ。こう言われた理由は、自分が異教徒だからというのもあるだろうし、今しがた出された食事の内容を見る限り、この村が裕福ではなさそうなのも原因かも知れない。これから寒くなるこの時期、旅人の自分が「娘を助けたんだからタダで越冬させろ」などと言い出さないようにクギを刺したのだろう。
ここを出たら、冬になる前に大きな街へ行こう。
冬でも、流れ者にでも、真っ当な仕事のありそうな出来るだけ大きな街へ。雪が降っても凍えないで済むように小さな部屋でも借りられたら良い。もし住み込みの仕事があればもっとありがたい。
その為に……今はもう少し休もう。
エレミアは目を瞑り、もう一度眠った。
再び目を覚ました時には体調は大分良くなっていた。部屋を出てあの赤毛のシスターにまた食事をご馳走になりながら、世間話をしつつ日時を尋ねる。今はエレミアがこの村に来てから四日目の早朝らしい。
『もう、今日発とうかな』
部屋に戻って荷物を整理する。少し食料を分けて貰って昼前にでもここを出ようか。思いながら畳んで置いてあった外套を手に取った。そう言えばこれ、洗ってあるみたいだ……血が付いてたから気を使ってくれたんだろうな。考えつつ、何気なくばさりと広げると。
何か白く光る小さなものがポケットから零れ落ちた。――コン! 床に落ちて硬い音を立て転がる。
『何?』
拾い上げて見てみれば、それは見覚えのある銀の聖印だった。端の溝に赤黒い物が少しだけだがこびりついている。
――あの子が持っていた物だ。
運ぶ時に体にかけていたから、その時にポケットに入ったのか? エレミアは指先に外套の裾を巻き付けて聖印を擦ってみた。赤黒い物が取れて心なしか艶が出た。よし綺麗になった。満足して頷いて、ふと思い出す。
そう言えばあの時、僕に声をかけてきたのは誰だったんだろう?
あの子を見つける直前に聞いた声。もしかしたらあれは「神様」って奴だったのかも知れない。助けを求める祈りに答える声だったのかも。
じっと聖印に目を落とす。きっとこれはとても大切なものだ。返さなければ。
部屋を出て廊下を歩いた。司祭かシスターに渡せば良いだろうと思って部屋を幾つか回ったが二人とも見つからない。廊下の開け放した窓から吹き込む微風は微かに香の馨りがし、祈りの言葉か聖歌か何かも聞こえた。今は礼拝の時間であるらしい。
なら二人とも礼拝堂かな。流石に祈りの最中に異教徒が入っていくのは、良くないだろうなぁ。
また少し時間をおいてから行こうと決めて、客室に戻る廊下を歩いていると。
『あれ?』
鈴を転がすような可愛らしい小さな声がした。思わずそちらに目をやる。廊下に面した戸が一つ開いたままになっていて、その部屋の中にあの女の子がいた。寝間着姿でベッドの上で体を半分起こしていて、両手を体の前で組んで頭を垂れている。波打つ赤い髪に隠れて表情は見えないが、何かに向かって懸命に祈っているように見えた。
『……』
エレミアは、開いた戸の前に立って静かにその様子を見守った。暫くして、祈り終わったのだろう、女の子は手を解いて顔を上げ、そして何気なくエレミアの方に顔を向け……きゃあ! と短く悲鳴を上げた。
「あっ、ごめんね。驚かすつもりは無かったんです」
エレミアはその場から動かずに声をかけ、持っていた聖印が彼女に見えるように手を開いて尋ねた。
「僕はエレミア、旅人です。何日か前からここに泊めて貰っているんです。……これは、君のですか?」
すると彼女は恥ずかしそうに目を伏せてこくりと頷いた。右手をゆるゆると上げて手招きをした。
「うん……。それ、あたしのお守り……無くしたと思ってた……。ねぇ、あたし今歩けないから、持ってきてくれる?」
言われて、エレミアは足音を立てないようにそっと部屋に入った。彼女の顔色はまだ大分青白かった。体調が良いとはとても言えなさそうで、刺激になりそうなことは出来るだけしない方が良いだろうと思ったからだった。
ベッドの隣まで来て、はい、と聖印を手渡す。彼女は両手で包み込むようにして大事そうにそれを受け取った後、じっとエレミアの顔を見上げてきた。エレミアも見返す。彼女はアーモンドみたいな切れ長の目が印象的な、整った顔立ちをしていた。今はまるで幽霊みたいに血色が悪いけれど、元気になったらとても可愛いんだろうとエレミアは思った。
「……ね。本当なの?」
数秒間の沈黙の後、困惑したような顔をしながら静かに彼女は言った。
「お兄さんは異教徒だって。でも、あたしを助けてくれたって」
「本当ですよ。どちらも」
小さく頷きながら肯定する。すると彼女は一瞬だけ俯き、それからもう一度しっかりとエレミアを見上げた。
「エレミアさん。助けてくれて、ありがとう」
彼女のその声は囁くようだったがはっきりとしていた。子供っぽい、真っすぐで混じりけの無い空気を孕んでいて、その純粋さが好ましく思えた。
「どういたしまして」
思わず笑みが零れた。身を屈めて手を伸ばし、そっと頭を撫でる。彼女はされるがままになっていた。二、三度撫でて、立ち上がって、
「それじゃ。……怪我、早く良くなると良いですね」
そう言って部屋を出ようとすると、
「待って」
突然服の裾を掴まれた。びっくりしてそちらを見ると、彼女は唇をぎゅっと結んで、それから小さく、まだ行かないで、と言った。
「エレミアさん、……何か……旅人なら、何か旅のお話聞かせて。……お父さんもお母さんも忙しくって……あたし、それで……」
眉間に小さく皺を寄せて伏し目がちに言うその様子は、泣きたいのを堪えているようにも見えた。よく観察すると自分の服を握る手は小さく震えていた。きっとまだ傷がきちんと塞がっていなくて、痛くて、独りでいると心細いのだろう。
「……分かりました。それじゃ少しお話しましょう。椅子、借りますね」
エレミアはベッド脇の小さな椅子を引き寄せて座った。少し出立が遅くなるかもしれないが、自分の話でこの子の不安が薄れるのならそれも良い。我ながら本当にお人好しだと思うが、そんな自分も嫌いではない。
「ありがとう、エレミアさん」
「うーん、エレミアさん、ですか。呼ばれ慣れていないので変な感じがしますね。呼び捨てで、エレミア、でいいですよ」
「それならあたしのことも、ルビニって呼んで」
「分かりました、ルビニ。……では、どんな話をしましょうか?」