top of page

見慣れた横顔 ―another side―

 真っ暗な山の中をひた走った。フォウに行く手を照らさせながら獣道を駆け下りる。荒い呼吸の間を縫って他の精霊を呼ぶ言葉を口ずさむ。

 《……シルフィード! ウンディーネ!》

 眼前に女性の姿をした精霊二体が姿を現す。エレミアは彼女らに命令を下した。

 《シルフィード、麓の村の司祭に僕の声を伝えろ。「お嬢さんを見つけました。怪我をしているので大至急、医者や治療の術が使える人を集めてください」と。――ウンディーネ、お前はこの子に付いて傷を癒せ。僕の精神力の続く限り、手を休めるな》

 言い終わると同時に彼女らはふいと姿を消した。同時に頭の中に重石を放り込まれたような重圧がかかる。一瞬視界が暗転して膝から崩れ落ちそうになった。

 流石に、精霊を三体同時に使役するのは……キツイな。

 熟練の精霊術師ならいざ知らず、エレミアの精霊術の腕は平々凡々なものだ。普段は目的に合った一体を召喚するくらいしかしない。――出来ない。

 大丈夫、少しの間だけ、村に着くまでだけだ。それくらいなら、何とか……耐えられる、はず。

 奥歯を食いしばってひたすらに駆けた。道を選ぶ時間は無く、藪を無理やりに突っ切ると灌木の枝葉に手や顔を打たれた。頬の皮膚が薄く裂けた感覚と共にぴりりと痛みが走る。
 その時、狼の遠吠えが聞こえた。先程までよりもずっと近くから。色々な方向から。

 『血の臭い? それとも音に気付かれた? 囲まれた?』

 武器は持っている。けれど、今の自分ではこの子を守りながら戦うのは到底無理だ、ましてや追い払うなんて。ぶるりと怖気が背中を這いあがって――

 『――放り出せば良いじゃないか。そんなお荷物この場に捨てて別の街へ逃れるんだ』

 エレミアの中で、彼と全く同じ声色をした者が囁いた。

 『村に連れ帰ったところで助かるかどうかも分からない。しかも聖北司祭に向かって精霊術を使ったから、異教徒だって完全にバレただろう? それなのに戻るのか? とんだお人好しだな?』

 《……フォウ》

 鈍くなりかけた足取りをエレミアは必死で押しとどめた。小さく名を呟くと、先導する光精は彼を勇気づけるようにちかちか輝いた。

 


 いつだったか定かではないが、小さな子供だった頃、いじめっ子達に言われた。

 『お前の親はどうしてお前を殺して捨てなかったんだ? 目も髪も泥みたいな色してる上に耳まで丸くて潰れて不格好、こんなに醜くて役立たずなのに!』

 それを聞いてエレミアは、その通りだと思った。悲しくて情けなくてぼろぼろ泣きながら家に帰ると、両親は泣いている訳は何も聞かずに、ただ綺麗に洗濯された服と温かい食事を出してくれた。辛く苦しい気持ちを吐き出すと、背中や髪をそっと撫でながら『大丈夫だ』と抱きしめてくれた。
 エレミアの親は優しかった。息子が仲間達から蔑まれ続け更に自分達にまで差別の手が及んでも、いつも味方でいてくれた。十分な食事と寝る場所をきちんと与えてくれたし、身の回りも清潔にしてくれていた。文字の読み書きと計算、精霊術に山野の歩き方、弓を使った狩りの方法……彼らが子供に伝えられるだろう全てを惜しみなく教えてくれた。恐らく、独りきりになっても生きていけるようにと願って。

 ――僕は幸運だった。

 故郷を出てから特に、そう強く思うようになった。

 僕の両親とは違う選択をする人も沢山いる。……僕の親が別の人達だったら、僕はきっと、今、生きていない。
 
 旅をする中で色々な人とすれ違った。故郷で見たような人もそうでない人もいた。立派な人もいた一方で、生きる為に他人から奪ったり理由なく殺したりする者も。
 人には、生き死にを容易く他人に握られてしまう時がある。特に小さな子供は、誰にも目をかけられなければそれこそあっという間に死んでしまう。

 今度は僕の番。

 エレミアは思った。彼女を捨ててしまえと叫ぶ自分を抑え込む。幼い頃ずっと守られていた。だから自分は蔑まれても貧しくても道を踏み外すことなく生きて来れた。

 僕は、誰かを守れる人になりたい。

 風に揺れざわめく枝葉の天蓋の隙間から絹糸のような月光が零れて、腕の中の少女の青い頬が一瞬照らし出される。目は閉じられていて表情はもう動かない。しかし、まだ息をしているのか足を止めて確かめる余裕など無い。
 冷たい夜風に打たれて走る、エレミアの見開いた両目からぽろぽろと涙が落ちる。だがそれは、悲しいとか苦しいとか痛みや恐怖、そういうものではなくて。

 ――生きたい。「ひと」でありたい。
 
 考えていたのはそれだけだった。脳裏にこびりついた彼女の微かな声が蘇り、言葉にならなかった心が見えるような気がしていた。

 「……だか、ら……まだ……【死にたくないの】」

ページ3​/6

©2023 虹色鉱石。Wix.com で作成されました。

bottom of page